安堵町プロジェクト 安堵町 地域振興構想

今年度、さらに次年度にかけて安堵町の歴史的財産の再発掘のための調査研究を行っています。さらにその成果を生かし、観光や地域経済の活性化に結びつけるための近隣の自治体との連携を模索しています。

 

当公益社団法人は平成28年度の事業として、民間シンクタンクのアルパック(地域計画建築研究所)の協力のもとで、安堵町から受託した「安堵町まちなか再生計画」をまとめました。
今年度はさらに当公益社団法人から「アート&(あんど)」という町が目指す方向性を定めた提案を行政に行いました。
そして、この提案を生かすためには、文化的資源を再発掘しつつ斑鳩、平群その他の地域と連携して広域で町づくりをしていく基本戦略と具体的なアプローチが必要なため、現在さまざま調査活動を行っています。
一方、安堵には他の市町村にはない「貴重な財産」があります。その財産を町が国や県からの助成を活かして、どのように地域の活性化に結びつけるのかの研究も始めています。

 

 

近代化に貢献した今村家の人々

安堵町の最も貴重な財産は、文化遺産と古代から続く歴史であり、水運によってもたらされた他文化の人たちとの交流によって営々と蓄積されて来た「知の集積」です。
また、安堵の自然が育んで来た「自然に学び生きる」という利害を離れて大局に立ち自らを深めていく生き方です。
総務省では2018年(平成30年)が明治元年から満150年の年に当たるため「明治150年関連施策」の推進に力を入れ、全国の自治体に公募を行っています。「明治以降の歩みを次世代に遺す」「明治の精神に学び、更に飛躍する国へ」がその趣旨です。
さらに、2021年は聖徳太子没後1400年に当たるため「聖徳太子プロジェクト」を組んで、奈良県では県内のゆかりのある市町村や府県などと連携した様々なイベントによる情報発信を実施し、地域の聖徳太子関連の歴史文化遺産活用につながる取り組みを進めています。
昨年11月には文化庁も歴史文化基本構想の策定事業の公募を行いました。対象は全国の市町村ですが、単独もしくは連携して策定することが条件で、市町村が県の担当部署を経由して文化庁へ申請することになります。
この事業は次年度以降も継続されると思われます。
一方、安堵は数多くの偉人を生んでいます。伴林光平ら明治維新の魁となった天誅組の主要メンバーらと親交があり、自らも知識人として広く知られていた今村文吾、文吾の甥で奈良県の再設置運動のリーダーだった今村勤三、彼の四男で結核治療に貢献し、医学界にいまも今村賞が引き継がれている第五代大阪大学総長の今村荒男などを輩出した今村家の近代日本の国づくりに大きく貢献した足跡が残っています。今村荒男は人間国宝第一号の富本憲吉とは旧制郡山中学時代からの友人で富本の生涯の友でした。その今村荒男の業績をもっと広く世の中の人々に知っていただく取り組みについて、当公益社団法人では安堵町に提案、協議した結果、次年度の国民文化祭の事業として取り上げられることになりました。

 

写真左/旧今村家本家(現・安堵町歴史民俗資料館) 写真右/飽波神社

 

市町村連携の鍵は学術的な調査研究に

安堵の地に関連した偉人の歴史は聖徳太子にまでさかのぼることができます。
聖徳太子が最後に住んだ飽あくなみあしがきのみや波葦墻宮は安堵にあったという伝承があります。安堵町は斑鳩と飛鳥を太子が馬で通った太子道が町内を走っていることで知られ、太子が休憩のため腰掛けたと伝えられる御幸石が現存していますが、発掘を伴う学術調査はまだ本格的に行われていません。飽波神社の由来についても調査が必要だと思われます。古文書に「飽波集団」が法隆寺に幡(ばん・旛)を納めた記録があります。飽波は渡来系の機織りの部族かもしれません。秦氏とも関わりがある可能性があります。
聖徳太子の時代、飽波評という地域がありましたが、太子の死後、大宝律令のもとでは郡へと地位が下がり、平群評が新たに誕生しています。
聖徳太子を巡ってはまだ謎も多く、他の市町村と連携していく上でも早急な学術調査とそれに基づく市町村間の調整が望まれます。

 

 

関連サイト

伝統木造建築 日本の伝統建築技術等を無形文化遺産に

当公益社団法人では、日本文化の基である「木の文化」に着目し、林業に関連する技も含めて、日本建築、作庭、築石等の「匠の技」の無形文化遺産登録を目指す活動を推進・支援しています。

 

奈良県には1993 年に我が国初のユネスコ世界文化遺産に登録された世界最古の木造建造物である法隆寺ほか多くの世界文化遺産があります。
そして、法隆寺はいまも大工の神、心技一体のシンボルである聖徳太子を祀る寺として信仰の対象になっています。
一方、これらの背景にある生きた自然の素材を加工して利用する伝統的日本建築並び作庭、石垣建造などの精巧な技術を新たなユネスコの無形文化遺産に推挙し、登録を目指す活動が始まっています。
当公益社団法人では、これらの技術や生業を未来につなげるため無形文化遺産登録を目指して活動している、2014年に発足した「伝統木造技術文化遺産準備会」の趣旨に賛同し、昨年度より同会との協力のもとで独自に活動を進めています。日本文化の源流である奈良、木の文化とともに磨かれてきた「普請の技」が失われると、継承されてきた茶の文化をはじめ礼儀、作法まで含めた日本の伝統文化そのものが廃れてしまう可能性があるからです。
「伝統木造技術文化遺産準備会」は哲学者の梅原猛氏が顧問、国立京都迎賓館の伝統的技能活用検討委員会委員長だった数奇屋建築の第一人者である中村昌生氏が会長の民間の組織で、伝統的な構法を内外に紹介し広めることによって、ユネスコの無形文化財遺産登録を目指す会です。
また、この会は登録をゴールではなく新たなスタートとして、日本の美しい原風景を残し、職人の技術や暮らしを守りつつ豊かな緑とともに生きる持続可能な社会を創出することを最終目標にして活動しています。

 

 

地元・奈良の地域活性化を目指して

奈良県は県土の約80%を森林が占める森林県で、特に吉野地方は豊かな土壌に加えて年間雨量や平均気温にも恵 まれ、年輪幅が細かく強度に優れ節の少ない日本屈指の良質材の産地として知られています。
ともすれば、樹木の伐採は環境破壊、地球温暖化につながると誤解されがちですが、若くて成長の活発な樹木ほど二酸化炭素の吸収量が多く、植林・間伐・伐採の管理されたサイクル確立が地元の林業の存続の鍵となっています。
しかし、現実は厳しく外材の輸入増加によって、国産材の価格は30年前の3分の1にまで落ち込んでいます。さらに需要の約60%を建設用材が占めていますが、間伐材などを利用した集成材や合板など低コストの利用が大半で、木材が本来持っている特質が生かされていない現実があります。
当公益社団法人としても、地元産業の活性化のためには、林業の衰退、建築関連の大工を始めとする職人の技の継承が危ぶまれている現実にどのように対処して道筋を提示できるかが、大きな課題でした。

 

省庁をまたぐ無形文化遺産登録を目指す会にも参画

2013年の和食、日本人の伝統的な食文化の無形文化遺産は国内外から注目され、多大な経済効果を生んでいます。伝統建築等にかかわる技の素晴らしさが世界に認知されることにより、生業、国内諸産業の活性化のみならず海外からの観光客増加にもつながります。
こうした観点に立脚して、「伝統木造技術文化遺産準備会」などの働きかけによって今年の2月下旬には内閣府、文化庁、国土交通省など諸省庁承諾のもとで、元文化庁長官の佐々木正峰氏が会長、哲学者の梅原猛氏が名誉顧問の全 国組織「日本の『匠の技』の保存・活用とユネスコ無形文化遺産登録を推進する会」が発足しています。また、当公益社団法人もこの会に事務局として参加しています。

 

佐々木正峰会長(左) 梅原猛顧問(中央) 中村昌生副会長(右)

 

次年度、奈良でシンポジウム開催

 次年度の2016年度には「日本『匠の技』の保存・活用とユネスコ無形文化遺産登録を推進する会」発足後の対外的な活動を、当公益社団法人と伝統木造技術文化遺産準備会の共同主催で、まず奈良から始めることが決まっています。
6月24日(土)、奈良春日野国フォーラム甍~ I・RA・KA ~に於いて、2020年東京オリンピック新国立競技場設計者の隈研吾氏を招き、「日本の伝統建築技術と木の文化の未来」という講演&シンポジウムを開催する予定です。
シンポジュウムには鈴木嘉吉氏(元奈良国立文化財研究所長)、木曽功氏(千葉科学技術大学長)、進士五十八氏(福井県立大学長)が参加、コーディネーターを当公益社団法人の川井徳子専務理事が務めます。

 

安堵町プロジェクト うぶすなの郷 TOMIMOTO

富本憲吉の息遣いを感じる風景- 美しい暮らし 豊かな時間。五感が心地よいと感じる空間

当公益社団法人は2013年11月に安堵町の旧富本憲吉記念館を取得し、運営先の企業と「芸術家・富本の創作空間を感じる宿」「寛げる宿」を目指して、企画段階から約2年間討議を重ねて来ました。
我が国の人間国宝第一号の富本憲吉の言葉に「樹を見るは陶器を見るに似たり」という含蓄の深い言葉があります。樹木の根を育てるのは、その土地の自然、歴史・風土です。デザインはもとより制作工程の細部まで見直して、自然に即し独自のスタイルを確立した富本の芸術家としての原点を大切にして、今年3月に「うぶすなの郷 TOMIMOTO」がオープンしました。
これからも、より一層深く富本憲吉の原点を大切にして、「美しい暮らし 豊かな時間。五感が心地よいと感じる空間」の提供を目指します。
なお、このポリシーが評価されたのか、オープン前から地域創生、行政の補助金活用の成功例としてマスコミに取り上げられて来ました。

 

 

うぶすなの郷 TOMIMOTO